さよならは約束だらうか

もう一度会うときまでさようなら

恋煩い(こいわずらい)帰り路

彼女の肩と僕の肩と、そっと触れ合ったままセミナーは進行してゆく。

 

セミナーは「いま不満に思っていること」についてだった。

 

彼女は会社の中でチームリーダーに抜擢されていて、そのチームのスタッフ(彼女より年上ばかり)が、自分の言うことを全然聞いてくれないことが不満だという。きっと彼女は優秀な人材なのだろう。日本語が堪能な彼女は、国籍を超えて日本人のスタッフに指示をだせるのだ。ただ、周りのスタッフにしてみれば「この小娘が」のような感情にとらわれることも容易に想像できる。彼女のちょっとした気の強さに僕は何となく気づき始めていた。僕は、このセミナーの自分のグループ内で一緒だった小学校の先生の「先生が生徒を怒るイライラ」について話をしてあげた。

 

「『廊下を走っちゃだめだろ!』って先生は毎日怒っていて、でも注意しても注意しても生徒たちは気がつけば廊下を走るんだって。それで先生は常にイライラしているの。廊下は走らないようにって注意書きもあるのに、生徒は休み時間になるとワーっと一斉に飛び出して走りだす。注意しても注意しても直らない。先生はいっつもイライラ。何でイライラしちゃうと思う?」

 

「廊下は走っちゃいけないって決まりだから?」

 

不安そうに彼女が聞いてくる。

 

「そう。廊下は走っちゃいけない決まりがあるの。先生は決まりを守らない生徒が許せないんだよね。だからイライラする。」

 

「うんうん」と彼女。

 

「だけど先生の意識は『決まりを守らない』にとらわれ過ぎてないかな?先生は真面目で、正義感が強くて、本当曲がったことが大嫌いな人だと思うんだよね。でもそれって生徒に対して自分の正しいを無理強いしてないかな?自分は正しい、生徒は悪い、正しいことをしている自分は正義だ、生徒たちは俺の言うことを聞いていればいいんだ、俺は正しいんだから。。。そんな生徒への支配欲がどこかに隠れてないかな?」

 

「あっ」と彼女。

 

「先生は『決まりを守らない』に重点を置きすぎて、何で走っちゃいけないかを忘れてるんだよね。生徒が走って転んで怪我をするかもしれない、誰かとぶつかって怪我をさせちゃうかもしれない。。。先生は自分の正しさに溺れるあまり支配欲の欲が強くなり過ぎて、大切なものを失いつつあったんだよね。そう、つまりは生徒に対する愛情に欠けてたんじゃないかな?って思うんだ。もちろん廊下を走った生徒には注意するよ。うん、注意することに変わりはないんだけど、もしそこに決まりだけじゃなくって生徒への愛情があったとしたら、何か変わらないかな?」

 

僕は彼女と顔を見合わせてニッコリした。

彼女は目を見開いたまま笑顔になって、その茶色い瞳がくりくりして僕は「ズルいよ」なんてドキドキした。

「コウさんも、スタッフに対して愛情が欠けてることなかった?」

彼女は手の甲に爪を立てる素振りをして

「イィーーーッテナテタヨ」

と悪戯っぽく笑った。

 

 

 

初日のセミナーが終わった。

 

「マタアシタネ」

 

と彼女が手を差しだして、その手のひらはちょっとだけ冷んやりしていた。

 

握手をする。

 

手を握ってきた彼女は、僕の勘違いでなければ名残惜しそうに、名残惜しそうに僕の手のひらからスルリと白い手を抜いて

「バイバイ」

と言うと踵を返し、薄いベージュのワンピースに茶色のコートを羽織り、真っ白なリュックをダランと背負って出口へと向かい、やがてその姿は受講生の人混みに同化して見えなくなってしまった。

僕はその手のひらの余韻に浸りながらビルを出て、寒々とした新宿の街へ颯爽と踏み出した。街の灯りはキラキラと輝き、その眩しさを遮るようにコートの襟を立てた僕は、何故か大切にポケットの中へ手をしまっていた。

 

(続