会いたいのなら会いに行け
JAZZの生演奏。売れているには程遠い、けれどいっぱしの演奏は目を見張るものがある。JAZZの世界とはそういうもので、陽の目をみない割に卓越した演奏を奏でるミュージシャンというのはごまんといるものだ。
今日演奏したピアノトリオも然り。ご多分に洩れず指先から離れた美しい旋律は、およそ満員とはいえぬ客席を漂いながら透明に消えゆく音符を零していった。
そんな明日を掴みきれていない孤高の音楽家に、若者が矢継ぎ早に質問をしている。店のアルバイトである彼もまた、ほんのひと雫の輝きに魅了されてプロを目指すというのだ。孤高の音楽家は彼にこう告げた。「まず良い楽器を買いなさい」と。
カーラヂオからユーミンの「コバルトアワー」が流れている。これこそプロ中のプロの名演である。細野晴臣が奏でるベースがやけにリズミックでつい口ずさんでしまう。
まだ僕が学生だったころ、デンマークから「ブライアン」という留学生が友人宅に転がり込んだことがあった。まあ留学生というのは噓で本当はもう社会人だったのだが、日本が好きすぎて再び来てしまったのだという。
ブライアンはデンマーク人のくせに身長が175cmくらいで彼曰く「僕は女の子より小さくて恥ずかしいよ」と話してくれた。もちろん日本語である。なんと彼は7か国語を話せたのだ。
デンマーク人男性の身長はだいたい2mくらい、女性でも180cmくらいが普通だという。そうなると確かにブライアンは小柄であった。そのブライアンが初めて日本の地に足を踏み入れたとき「この国は子どもしかいないのか?」と思ったという。まことに真理である。
デンマークと言えばチーズの生産で有名だが、ブライアンはチーズが大嫌いだった。チーズバーガーなんてこの世からなくなればいいとまで言い切った。ただ納豆は大好きだという。日本びいきにもほどがある。
ブライアンは当時「漢字」を勉強していたのだが、僕らは面白がって当て字を教えてあげたりした。彼の名前は「ブライアン イエセン」というのだが、「無雷暗 家千」と、わざわざ筆で半紙に書いてあげた。なんとも小学生並みの知能で申し訳なかったが、ブライアンは大喜びであった。
デンマークでは煙草が高騰していて円換算すると一箱1500円くらいだという。ブライアンは煙草に火を点けて2回くらい吸ったあと丁寧に消してその煙草を箱に戻していた。デンマークでは普通の習慣だそうだ。そんなブライアンに僕らは「日本ではそれを”シケモク”って言うんだよ」と教えてあげたりした。それでもブライアンはその”シケモク”を止めることはなかった。
そんなブライアンのいる生活が2週間くらい経ったある日、ブライアンが「そろそろ次の国に行こうと思う」と言った。いよいよ新天地へと旅立つことになったのだ。僕らは彼に日本のお土産をいっぱいあげた。彼は大変喜んでくれた。僕らは「デンマークの友だちには、なにかお土産は持っていかないのか?」と聞いてみた。ブライアンは「お土産は自分に買うものであって人からもらうものではないよ」と言う。「友だちも日本に来ればいいだけだよ」と言う。文化の違いでもあるだろうけど、これはブライアンが常日頃考えていることらしい。「僕は日本でいう”さようなら”は言わないよ だっていつだって会うことができるじゃない たとえどんなに離れていても本当に会いたかったら会いに行けばいいんだよ そんなの簡単なことだよ」そう言って、ブライアンは次の国へと旅立っていった。さよならも言わずに。
今日をもってアルバイトがひとり、大学を卒業して辞めていった。就職したのである。とても名残惜しそうにしていたけれど、僕は”さよなら”をいうことはない。本当に会いたければ、会いに行けばいいだけなのだから。
プロを目指すアルバイトくんも広い世界へどんどん出て行くべきなのだ。本物に会いに行けばいい。孤高の音楽家もそうやって夢だった未来を手繰り寄せている。
そう。夢をみるだけなら誰だってできる。会いにいった瞬間から夢は現実に変わってゆくのだ。
カーラヂオからは八神純子さんの「水色の雨」が流れている。
もう夜が明けそうなのに、なんともエキゾチックなサンバが軽快だ。次の角を曲がれば、自宅はもうそこにある。