さよならは約束だらうか

もう一度会うときまでさようなら

二.一四事変(たけし)

営業という仕事に終わりはない。

膨大なノルマのため右に左に奔走し、月末ギリギリまで追われ続け、なんとかノルマを達成したところで月が変わればその月のノルマはまたゼロから始まるのだ。数字に追われない日など永遠に訪れることがない。

その日はだいぶ疲れていた。

つり革を掴んだ手の甲に額をつけて寄りかかり、電車の揺れに身を任せたまま薄眼を開けたり閉じたり虚ろなまま窓の外をぼんやり眺めていた。バン!と窓を弾いてすれ違う上り列車の大きな音すら何処か遠くで鳴っているようにしか聴こえない。

停車駅。偶然目の前の席が空いた。

「ラッキー」と思ったのは、正直座りたかったという理由の他に、隣の女性が好みだったからということもあったり。

 まだ火曜か…

ふと隣を見ると俯いている彼女は寝ている様子。その可愛らしい寝顔をぼんやりと眺め、まじまじと眺め、そして吸い込まれるようにゆっくりと、あるいは一瞬で意識は薄らいでいった。

 

 

ガバッ!

寝過ごした!

何故か隣の彼女と目があった。
「わたしも」
小さな声で、それは僕にだけ聞こえるよう手のひらで口元を隠してこっそりと。 

「あっどもっ」

と、状況を把握できていない僕は軽く会釈をし、この瞬間彼女の顔をはっきり確認した。抜群な美女ではないけれど、愛くるしい小動物のような仕草がシマリスを連想させる。

めちゃくちゃ動揺している僕に対して案外冷静な彼女。ここはおじさんとしてプライドと余裕を見せてやろうと
「やっちゃったね」
と言ってみた。

彼女はエヘへッと肩をすくませて、バックの中をガサゴソとして何かを取り出すと
「はいっ!どうぞ」
と僕に一粒のチョコレートを。

「ハッピーバレンタインですよ」

ちょっと不恰好に包まれたチョコレート。これ市販品?と考える間もなく慌ててスマホを見ると、すでに0時を過ぎていて、それは僕らに訪れた一度切りのバレンタイン。

あれ?

これ?

ちょっと好きかも?

突然のドキドキは乗り過ごしたことを超越して、とにかく次の駅へ着くまでに続きのストーリーを作ることが僕に求められた使命だと我がドーパミンが突如最大活性を始めていた。
「あの」
「あの」
声が重なった。僕らは目を合わせて自然と笑いが止まらない。ふたりを乗せた電車は、もうゆっくりとホームへと滑り込んでいるというのに…