特別な朝(後編)
予選会当日の朝は早い。早朝5時過ぎにPAなど音響機材が搬入され、マイクチェックなどを行なう。6時から出演するバンドのリハーサルが20分ずつくらい、この年の予餞会は僕らを含め合計5~6バンドの有志演奏が行われた。軽音楽部の後輩グループ数組と別の同級生グループ(彼らは浜田省吾を歌う硬派バンド)そして僕ら「喜楽スペシャル」のサザンである。
「うぃーっす」と僕らは口々に声をかけ、ハイタッチをし、凍えた(笑)
6時。まだ2月で外は真っ暗。気温も2~3度だろう。とても楽器なんて弾けたもんじゃないけれど、選ばれし僕ら有志演奏軍団は体育館2Fにある準備室の小さなストーブで暖をとっていた。
僕は6時過ぎ「ちょっと行ってくる」と最寄駅に自転車を飛ばした。同じ部活の後輩(彼女)を迎えに行くためだ。
早朝の凍える街などものともせずに、僕はペダルを踏みしめ、そして風になる。
駅に着くころにはもう太陽が光を放ちはじめ、息を切らせた僕はブレーキを鳴らしながら駅の階段下で手を振る彼女を眩しそうに見つめ、そして頷いた。
彼女との二人乗りもこれが最後かなあ。。。などと思いながらゆっくりペダルをこぐ。彼女は僕のコートのポケットに手を突っ込み、背中に頬を寄せていた。
1年生のときも、2年生のときも、この予餞会の日の朝日を感じてきた。一年の中で一番好きな朝だった。冷たく頬をなぜる空気がどんどん集中力を高めてゆく。吐く息は白く、その息遣いだけが静かな朝にリズムを与えてくれる。
彼女は僕のおなかをぐりぐりして「ちょっと太ったんじゃないの?」なんて呑気に声をかけてくる。
完全に意識が飛んでいた僕は我にかえり、勢いよくペダルを踏んだ。彼女はしっかりと僕に抱きつき、ぴったりとひとつになった。
話しはいよいよ佳境である。予餞会。ついに僕らの出番がやってきたのだ。
イントロダクションとして吹奏楽部の部長でもあるケンちゃんと、桶川高校のバスドラムと云われるほど誉れの高い田中くんが打楽器(ボンゴとドラム&サンバホイッスル)で盛り上げる。そこからの気分次第で責めないで~♪ C調~♪ 曲の合間にケンちゃんが今日までのいきさつを話して笑いをとる「ボク、今日ほんとはテストなんですよ・・・爆笑」
そこからの栞のテーマ。体育館の3年生が一緒に歌っている。そして名目上最後の曲であるいなせなロコモーション超ロックバージョンへ!
曲のエンディングでメンバー紹介をする。ここまでは予定通り。その後アンコールの拍手までは仕込みだ(笑)予餞会実行委員の2年生も仕方ないなあという顔で続行を認める。
「すいませんねえ」と悪びれもせず、ギターの寒河江くんはいとしのエリーのイントロを奏ではじめた。サザンのライブか!と思わせるほどの歓声があがる。
このエリーは、途中アカペラを含む壮大で、なおかつハードな曲として僕がアレンジをして3年生を泣かせにいった。演奏している僕らもぐっとくる仕上がりだ。
曲のエンディング、緞帳(どんちょう)を降ろす実行委員。ここまででもう30分近く演奏している。ギターはエンディングが終わる前にYaYaのイントロを弾きはじめる。ごり押しだ。体育館は歓声とどよめきがごっちゃごちゃだ。ざわつくステージ袖で、緞帳を降ろすボタンを挟み実行委員と僕らの前に演奏した浜田省吾軍団が対峙している。すまん・・・そんな姿を横目でみながらのYaYa(あの時を忘れない)
なんとか半分降りた緞帳のまま演奏を終えると緞帳は降ろされ、実行委員の「ありがとうございました」の声がマイクで流れた。
ここからだ
僕とギターの寒河江くんはアイコンタクトでステージの外へ走り出す
スティックのカウントが聞こえた
LALALA~LALALA LALALA~♪
勝手にシンドバットのはじまりだ
体育館内は絶叫に近い歓声で埋め尽くされている
完全に緞帳が降りた中 体育館のステージ下に飛び出したギターとベース そして緞帳の裏側で実行委員ともみ合っていたケンちゃんもなんとか外へ
ドラムとキーボードはステージ上から動けず緞帳を挟んでの演奏になってしまったが止まらずに続けてくれている
みんなの顔が見える
これが三年生最後のバカ騒ぎだ
緞帳は降りたままだったけど、ぐっちゃぐちゃになりながら演奏をぶっ続け、そして僕らの高校生活は幕を閉じた。
僕らは演奏をしていたので知らなかったのだが、後から聞けば緞帳の向こう側はそりゃあ大変な騒ぎになったらしい。実行委員も意地がある。おいそれと三年生の暴挙を許すわけにはいかない。その後の出し物で控えている生徒もいるわけで、謝恩会の時間もめちゃめちゃになっただろう。本当申し訳ない。浜田省吾軍団が盾となって演奏を止めさせず、もみ合い、怒鳴りあう。
そんななか、もみ合う生徒たちを一喝して治めたのは他でもない、体育教師の折茂先生だった。
「こいつらを、どうかやらせてやってくれ」
と実行委員にお願いをしてくれたのだ。
嘘か本当か、その光景を見ていた細田先生の目に光るものがあったとかなかったとか。
その後の僕らは何のお咎めもなく、心配した軽音楽部も存続、無事卒業できた。
もはや伝説に近いこの話が話題になり卒業した僕たちは、その後大学の学際に呼ばれたりした。そして怒涛のサザン27曲ぶっ通しライブをやることになった話はいつの日かまた。