さよならは約束だらうか

もう一度会うときまでさようなら

僕らの働く理由

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僕は高校生のころバンドなんてものに明け暮れていて、進学やら就職やらとか、そんなことは全然考えずに来る日も来る日も楽器と戯れる毎日を過ごしていた。漠然と、大学に行ってもやることないなあ。。。何かモノを作る仕事とかしたいなあ。。。適当にバンドとかやっていたいなあ。。。などと、今思えば本当だらしない学生生活だったのだ。

体たらくな僕は、勉強しないで入れる調理師学校(ミーハー気分もあって有名な服部校長のいる代々木の有名校)に進学し(この話はまた別の機会に)卒業すると同時にフランス料理屋で働くことになった。今じゃ考えられないけど就職するのに苦労することなんか全然ない時代だったんですよね。

そのお店は僕が入る数カ月前にOPENしたばかりで、ムッシュと呼ばれる竹内さん(当時若干33歳・旧大宮市役所前の南欧料理店で今も腕を振るっている)を慕って集まった腕利きの料理人が揃うバリバリのフレンチだった。僕が入ると時を同じくして、八丈島から親戚を頼りに上京した高卒の青年と、ホテルを1~2年で辞めてきた流れ者の菊地さんと清水さん。あと住み込みという条件だけで青森から紙袋ひとつで上京してきた高卒の青年が合流して、いよいよ5人が使いっぱしりとして働くことになったのだった。

 

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働くといっても八丈島と青森の18才コンビ、僕が19才、菊地さん20才と清水さん21才の5人だ。最初の数ヶ月は遊び半分仕事半分のような、学生ノリのまま勢いで毎日を面白おかしく暮らすことしか考えていなかった。僕らは浅はかで、陽気で、馬鹿丸出しだったのだ。

お店は「寮」と称して平屋建ての家を一軒借りていた。6畳二間の2DK。そこに僕といっこ年上の菊地さんを除いた八丈島、青森、清水さんの三人が暮らすことになった。

店は9時に出勤した僕ら小僧たちが仕込みを行い、10時過ぎに河岸(市場)から腕利きの先輩が肉や魚を仕入れて現れる。その後にムッシュが来て買ってきた材料を見てメニューを考え、11時半よりランチが始まるというルーチン。15時から17時までは休憩。そして夜は23時まで営業する毎日だった。

23時過ぎに僕らは仕事を終え、南銀(南銀座と呼ばれる飲み屋繁華街)に繰り出し、浴びるように飲んで酔っ払い、カラオケを歌いまくり、そして寮になだれ込んだ。週に3~4日はそんな日を繰り返していた。全くもって学生ノリそのままなのである。

 

 

ある日小僧の八丈島が「寝ない選手権やろうぜ!」と言い出した。

 

 

若かった僕らは気合を入れてこの一大イベントに取り組むことになった。

まず早朝ゴルフの打ちっぱなしを6時から7時に。力あり余る僕らは手に豆を作りながら200発くらいゴルフボールをぶちかますと、今度は裏のテニスコートで時間ギリギリまで早朝テニスを楽しんだ。アルバイトの可愛い女の子を早朝から呼び出し、そのパンチラを拝むことも決して忘れずに。そして9時から仕事。中略 23時過ぎに仕事を終えた僕らは街に飛び出し大酒を飲み、そこでナンパした女の子とカラオケで大騒ぎして歌いまくり、ヘロヘロになった身体を引きずり一旦寮に戻り、そしてゴルフの打ちっぱなしの準備をするのだ。もうM体質極まりないことこの上ない。そしてギンギンに充血した目のままゴルフボールを打ちまくり、ふらふらになりながらテニスをして、この日はバイトの子が来ないからと隣のコートをみたら、老夫婦の壮絶ラリーに仰天したりして、そうして僕らは朧げな意識のなか仕込みを始めるのだった。デジャブである。すでにこの時点で27時間。カッチコッチ…

肉体を酷使して、仕事ではコキ使われ、そしてガラガラ声と二日酔いの僕らは無駄に睡魔と闘っていた。それはもう学生の徹夜とは大違いだった。包丁を持つ右手と野菜を持つ左手、おでこを手前の壁にくっつけた三転倒立で寝ていた八丈島が最初に脱落した。次に青森が閉店後の床で棒になっていたのを発見。仕方なく残った三人で街に繰り出したものの、最初の店でビール片手にみんな撃沈してしまった。およそ42時間くらいだったか。その寝顔が天使のようだったかどうだかは知る由もない。

 

 

アートな写真を撮る会も開催された。

 

 

閉店後、僕らは仕入れで市場に行く用の社用車に乗り込み、埼玉の田舎町から晴海ふ頭までドライブした。片手に「写ルンです」を持って。

夜中じゅう僕らはモノクロで写真を撮りまくった。

突っ走る車の中から東京の街を切り取り、大声で尾崎を歌い、運転する八丈島をよそに、僕らは缶ビールをかっ喰らった。

肩車の肩車とかして「トーテムポール」とか写真に収め、無駄にジャンプしたり回転レシーブをキメた写真も撮ってみた。もちろん海をバックにマドロス風の写真も欠かせない。

帰り道、大通りで「ドリフトしたい!」という八丈島が猛スピードから急ブレーキをかけて車が1回転したときは、僕らは静かに顔を見合わせた。正直漏らしていたのだ。

「小便!小便!」

一番年上の清水さんはそう言って車から降りて走りだした。僕らは前屈みになってその後を大急ぎで追っていった。

そうして僕らは並んで立ち小便をして、明るくなり始めた朝にゆっくりと飲み込まれていったのだった。

清水さんは、

「俺、料理作りながらアメリカ大陸横断したいな」

と、ぼそっと呟いた。

夜と朝の境界線に立っていた僕らは、何者になるために今を生きているのかを、その時少しずつ考え始めていたのかもしれない。働くということが、それはまだ何だかわからなかったけれども。

 

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