店が潰れるということの悲しみ
もういいかな。
僕は以前サンマルクというお店を運営していたのですが、潰してしまいました。ピーク時で月商1300万くらいありましたが、閉店するころには平均月商800万~900万ほどになっていました。普通のレストランなら十分すぎる売上額なのですが、このサンマルクというお店は経費がすごく掛かり、これで赤字ラインなんですよね。
在籍期間は11年、なかなかな思い入れもあります。
いままで大手ファミレスチェーンにいたこともあるのですが、だいたい1年から1年半くらいで店舗を移動していくのです。なのでお店本体や人にはあまり深く関わらなかったのですが、ここは11年間在籍したこともあって、長く勤めてくれたアルバイトさんだと15歳(高校生になった4月から)から大学卒業まで7年間付き合いがあったりしました。
この店はフランチャイズでサンマルク本社とは別にオーナー様がいて、その下で僕は働いていました。オーナー(社長)部長(奥様)店長(僕)の3人というお店のためだけの会社で、オーナーの思い入れも大変強いお店でした。
オーナーの本業は砂利問屋で(建設現場へ土台になる砂利や砂を手配する問屋さん)元々このサンマルクがあった土地は砂利や砂の置き場でした。オーナーは2代目社長なのですが、小さいころはこの土地から砂利や砂が風で飛んで近所へ散々迷惑をかけ、肩身の狭い思いをしたそうです。特に雨が降ると砂利置き場の砂が人の家に庭に流れ込み、その度に謝りに行く親の姿を見ていたのです。
そんなオーナーは自分が代替わりしたとき、真っ先に別の土地を購入して砂利置き場を変えたのです。そして残ったこの土地を近所の方に是非利用してもらいたいと思い、サンマルクというレストランを誘致したそうです。いままで迷惑をかけた分なんとか喜んで欲しい一心だったと。
サンマルクというレストランは「チョコクロ」というクロワッサンでカフェが一躍有名になりましたが、元々はコース料理が気軽に食べられる高級ファミリーチェーンとして出発した企業です。特にアニバーサリーに強く(お誕生日コースや結婚記念日コースなど、一度利用してアンケートに記入した方はハガキが届いたんじゃないかな)お客様自身にも思い入れがあるお店として認知されているはずです。
いまだから告白しますが閉店する話はその年の4月におおよそ決まっていました。アルバイトさんに発表したのは多分11月過ぎてからだと思います。ひどい店長ですいません。
なんとか盛り返せないかと努力を惜しまなかったのですが、状況は好転せず6月に本決まりでサンマルク本社との契約は1月までとなりました。(契約上半年前に取り決めなくてはいけない)
そうして1月、
在籍しているアルバイトやパートの方々の転職先など不安要素は山ほどありましたが、1月までなんとか無事に営業を続けることができました。閉店まで残ってアルバイトを続けてくれた皆さま本当にありがとうございました。さっさと他のアルバイトを探すことだってできたのに、みんな続けてくれたんですよね。
それどころか、どこで知ったのか歴代のアルバイトさんたちが次々と店に来てくれたのです。遠い人だと結婚して茨城に引っ越したアルバイトの子がわざわざ埼玉まで来てくれたりもしました。
どうせ壊しちゃうんだし、落書きをしよう!
「お店の壁に落書きをしてもいいよ」とアルバイトの子たちに言うと、喜んで色々書いてくれました。
全部写真に撮ったんだけど、ちょっとだけ貼ってみた。
さらにみんなで集まって食事したりして思わぬ同窓会気分!
懐かしいなあ。
と、こんなに愛されてたのかと思うと泣けてきます。
お客様からも「残念だ、残念だ」と声をかけてくれたりして。。。
その後、
お店は1月18日で閉店(この日が開店記念日でもありました)すぐに店内取り壊しとなりました。
どんなに人の想いがあろうが、短いながらも歴史があったとしても、ぶっ壊しちゃえばもう何も残らないのです。
たぶん何千人と余りあるほど、この店でお誕生日会や結婚記念日を祝ってくれたことでしょう。この店でプロポーズをして結婚を決めたカップルもいました。お婆ちゃんがたった一人で来店されて二人分のコース(結婚記念日)を注文されたときは泣きました(その前年までは二人で来てたんですよね)ピアノの生演奏をしたり、JAZZをやってみたり。。。いろいろな想い出を湖の底深くに沈めたはずなのに、たまに浮き上がってくるのは仕方ないこと。懺悔の気持ちしかないですが、ようやく心の整理ができました。
最後の店内からぶっ壊すところまで貼っておきます。どうかこれを見た人が、店が潰れるってこんなに悲しいことなのかと、ちょっとでも感じてもらえたらなと思います。
時は心の治療薬であるように、いまでは過去の思い出たちも湖の底で浄化されて思いだされます。