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さよならは約束だらうか

もう一度会うときまでさようなら

ZARDという付箋(最終回)そしてZARDはタイムマシンになった

外は完全に明るくなっていた。

20分休憩はあっという間だった。最初の10分休憩はかなりリフレッシュできたのだが、逆に20分休憩するとぼんやりしてしまう。脳が疲弊しているのか人の声がどこか遠くで聞こえるような錯覚を覚えてしまう。そう。。。学生の頃にやる遊びの徹夜と仕事でやる本気の徹夜は疲労度が桁違いなのだ。

例えば、5時間以上ZARDを連続で聴いていて(しかも14曲のみ)僕らは「負けないで」がリピートしてくる時間で、どれだけ仕事が進捗しているのかが体感できるという能力を身につけるほど集中力を発揮していたのである。犬でやる実験のようである。人体実験もほどほどにしないと、本当倒れてしまうのだ。

 

「よし!やるか!おめぇら!潰れんじゃねぇぞ!」

 

組長の気合が僕らをピリッとさせる。これもう完全に男が男に惚れている状態なのだ。

そうして最後の戦いが始まった。弁当箱を並べる僕らももう慣れたものだ。。。が、すぐにとんでもないアクシデントが僕らを襲う。。。

 

「弁当箱足りません!」

 

弁当箱は2200個ぴったり準備していた。もちろん予備の弁当箱はあるのだが、足りないということは弁当箱(薄いプラ箱)が1回目と2回目で作った1600個の弁当の中で、2枚重なっているということなのだ。

 

「段ボール開けて探すぞ!」

 

組長のかすれ気味の声がギリギリで士気を保っていてくれる。

だが地獄である。これ最初の1個だったら詰め込んだ弁当を段ボール全部から取り出さなくちゃならないのだ。満タンに弁当が詰め込まれた大きな段ボールはすでに20個くらいある。これでは余裕だった時間がどんどん失われてゆく。もうすでに「負けないで」がかかっているじゃないか。。。

 

「あ、ありましたーーーーーーー!」

 

幸運なことに、2回目のほうの段ボール箱の中から重なっていた弁当が発見されたのだ。みんな安堵するも力ない笑顔だ。否が応でも精神的にギリギリの状態だということをわからせてくれる。脳をジンジンさせながら、僕らは段ボール箱に弁当を入れ直した。やはりちょっとのミスも許されない。あとの代償が大きすぎる。。。僕らは気を引き締め直して再び弁当詰め作業に戻っていった。「負けないで」まではまだ5曲ある。

 

6時になるとパートで働いてくれている主婦が陣中見舞いに来てくれた。男ばっかりでやっているなかに女性の声が響くと、驚くほどの安らぎが身体中を覆ってくれる。これでプラス2名!さらに調理場からヘロヘロの料理人とバイト、三浦さんも駆けつける。

 

「もうちょっとじゃけぇ、早よ終わらせんとぉ」

 

なんで三浦さんはこんなに元気なんだろう。。。ただ右手首にはシップがべたべた貼られテーピングされている。どう考えても物を切り過ぎなのだ。満身創痍とはこのことである。

そうこうするも、一気に人数が増えたわけで一気に終わりが見えてきた。しかも数は最初より少ない600個。思ったよりもだいぶ早くクライマックスがやってきたのだ。僕は何故あんなに終わらないかもとビクビクしていたのだろう。おおよそ組長の計算通りなのだ。

 

「終わりかー!最後よーくチェックしろーーーー!」

 

組長の最後の気合が入る。

 

そして朝7時30分。僕らは2200個の弁当を作り終えたのだ。0時から始めて7時間半。人間やってやれないことはないのである。

 

 

そうして、

臨時のテーブルを片付けながら、僕は少しだけ名残惜しくなっていた。馬鹿みたいな弁当祭りでも、終わってしまうと思うとどこか寂しさがあったりする。おかしいことに、終わった瞬間の達成感よりも、実は終わってしまう物哀しさのほうが大きいのだ。

組長一行は、もうすぐに持ち場に帰るという。なんと今晩80人のパーティーを控えているという。もう鉄人としか言いようがない。僕らは日産の入社式後のパーティーが無くてホッとしていたというのに。

 

「ありがとうございました」

 

「おうっ」

 

組長は感慨深さなど微塵もみせずに「じゃ、あとはヨロシク!」という言葉を残して帰っていった。他のメンバーもそれぞれの持ち場へ帰ってゆく。祭り事は終わったのだ。

 

 

この弁当作りの経験があるからこそ、いまでも僕は何事にも負けない精神力を発揮できるのだ。いや、このとき本当に辛かったのだけれど、これを思えば大抵のことは乗り越えられる。シンプルに段取りを組み、計算をする。想像を超える何かがあっても活路は必ず見いだせるのだ。

 

 

 

 

 

ラヂオの良いところは予想だにしない曲が不意に流れてくるところだろう。

何故ならZARDは、あのときの辛い極限で楽しかった瞬間へあっという間に僕を連れて行ってくれる。

 

その時聴いていた音楽は、いつしかその時間の付箋となって想い出のページを開きやすくしてくれる。誰しもが自分の人生ノートにヒット曲の付箋がいっぱいついているはずで、それはたくさんの楽しかった想い出だったり、ときには辛く思いだしたくもない哀しい記憶もあるだろう。ただ、ただそれでも時間とともに辛かった出来事は、ゆっくりと浄化され、やがてほろ苦く味わえる時がやってくる。

 

それぞれの付箋を無作為に気づかせてくれるラヂオが、なんだか僕は割と好きなのである。