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さよならは約束だらうか

もう一度会うときまでさようなら

「加害者家族」と「フクシマ県民」とを考える

例えば、もし殺人を犯し収監され服役中の兄弟がいたとして、そのことを人に話せるだろうか。

 

「手紙」という東野圭吾さんの小説である。ざっくり説明すると、服役中である兄の存在が弟の人生を狂わせる大きな負担として描かれた哀切伴う作品だ。

弟は殺人犯ではない。ただ、世間から「なるべくなら関わりたくない」という偏見により住む場所を追われ、友だちをなくし、就職もままならない現実に堕ちてゆくのだ。

小説の中では、弟を信じ心を分かち合う友や生涯を添う伴侶にも巡り合うけれど、行く先々で兄の存在を知られることによりその末路は決して明るくはない。

 

真っ暗な未来の先にみえる消えそうな希望の灯かりを目指し小説は綴じられている。

 

 

 

 

東日本大震災から6年目を迎えている。

閖上の復興が未だ気になるところだが、東北全体を俯瞰すれば遅れている一部地域を除き未来が見え始めている。もちろん昔のまんまという訳にはいかないだろうけど、津波被害を教訓に新しい街づくりの息吹は各地で形になりつつある。

 

 

 

 

問題は福島県風評被害だろう。

未だフクシマという表記はなくならず、放射線量がどうこう汚染水がどうこう・・・・米だの野菜だの何かと言っては敬遠されている。

 

自分はどうだろう。

福島産のコシヒカリを買うし、桃だって今年も美味しくいただいた。「自分は」だ。

 つまり、生まれたばかりの赤ちゃんや幼子を抱えた状態で福島産のコシヒカリを食べさせようとは思わない。せめて埼玉産だろう。

 

 

この事象は至って常識の範囲内だと思っている。誰もが自分の子どもにだけは何らかの危険が降りかかるのを避けたいはずなのだ。

もちろん人体に及ぶ放射線被害など、実はもうほとんど影響ないのだろう。様々なデータや研究者、学者、大学教授などからも証明されている。

 

 

でも、

 

でもである。

 

持論を申せば、危険区域を国が全部買い取るべきだったと思っている。そして国が推進してきた原発なのだから、政府が責任を持って対処するべきであった。東京電力に押し付けていてはだめなのだ。国が原発事故による危険区域を買い取り全て隔離する。住んでいた住民には二度とこの土地に帰れない旨を伝え代替地を用意する。そして残った福島県をまとめて全く別の名前のX県として新しいスタートを切らせるべきであった。福島という名前を封殺するのだ。

 

 

 

福島抹殺。

 

 

 

五十年もあれば代替わりして「福島県」という存在を忘れ、新しい「X県」として認知され、それが常識となり風評などという莫迦げた被害も皆無でなのである。

 

極論である。福島県に長年住んできた人たちにとって、謝って済む問題ではないのは重々承知である。それでも国は金で解決しなければならない。このエントリーを書きながら涙が滲んでくる。ダム建設によって村ごと水没して失う憐れな村民と同じなのだ。

 

国がいい顔をしようとして「いつかは帰れる」みたいな幻想を抱かせたことにより、危険区域だった地区の復興は今後も困難を極めるだろう。もともと住んでいた人たちはもちろん帰りたいにきまってる。ではそんな「あや」がついた土地に観光で行きたいか?農作物を食べたいか?復興を手助けするために我慢して観光したり食べたりするのでは本末転倒なのだ。

 

国は買い取った危険区域をすべて研究施設や工場など無機質なものにして、危険区域でないX県に観光や農産物を集中させるべきだったのでは・・・と今でも考えている。

 

 

血も涙もない解決策であるが、極めて現実的ではないか?

 

同和問題」というのを小学生のころ「道徳」の時間で学んだ。

いまは道徳の授業はなく同和問題を知らない若者だらけだ。同和地区はいつのまにかカタカナ表記の名前に生まれ変わり、いまやお洒落な街として根付いている。

同じことを村レベルではなく県レベルでやるだけのことだ。できないはずはない。

 

福島というお家断絶へ追い込んだ原発の罪は極めて重い。その地区の歴史を終わらせようというのだから。

それでも残された真っ暗な土地に希望の灯かりがあるとすれば、きっとそういうことだと思っている。

 

 

小説「手紙」の主人公である弟は兄と決別し生きてゆくことを決める。兄の存在を抹殺して。

棘の道である。それでも心の奥底に楽しかった兄との想い出を忘れることはない。

 

 

 

 

 

 

獨協大学の講師であり学者のOさんと一晩語り明かした備忘録です。

 

手紙 (文春文庫)

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