さよならは約束だらうか

もう一度会うときまでさようなら

あとがき(恋煩い)

この物語、先月のはじめに僕が本当に参加した自己啓発セミナーの出来事がベースになっています。ただ、もちろんこれはだいぶ脚色されたお話で、でも半分くらいは本当で、だからハッピーエンドを迎えようならたちまちゲス不倫になってしまいます。なので本編もバッドエンドです。

彼女はとっても可愛くて(これはまぢ一目惚れしましたね、ええ。)本編中の彼女の振る舞いは半分くらい本当です。あとは過去の経験からとかドラマのワンシーンとかからですねえ。本物の彼女はもう少し気が強くて!、結構セミナー中も挙手して発言して、嫌がる僕にも「テ アゲナヨ ホラ ホラ」と何度も突っつかれました(笑)

1セッション3時間で12回あったセミナーのうち、彼女と一緒に座れたのは6回で、本編同様に奇数席と偶数席を読みまちがえて背中合わせになったりしました。

連絡先は本当に交換できなくて、彼女は僕のお店のホームページしか知りません。ただ店の名前は紙切れに書いて渡しているので、ネットで調べてお店を訪ねてくるかも?とかちょっとだけ期待しています。すみません。ゲスいです。

 

今回は小説になるべく寄せていこうという、かつてない意欲作で15000字を超え、本物の短編作品と同じくらいのお話になりました。

 

またチャレンジしたいですね。

ではでは。

恋煩い(こいわずらい)砂時計

セミナー最終日の朝。

二日泊まって、もうチェックアウトが迫っているというのに、今更ながら初めて窓を開けてみた。ビルの隙間から小さく見える空はどんよりとした曇り空で、正面のビルにぶつかって跳ね返るその風は、起き抜けのTシャツ1枚だった僕の首元に容赦なく襲いかかってくる。刺すような冷たい風に首をすくめ、慌てて窓を閉め、編み込みのカーディガンを急いで羽織り身震いした。

起きてから点けっぱなしのTV。トランプ大統領来日のニュースもそこそこに、お天気アナのかわいい声が流れてきた。

「今日の最高気温は10℃以下で、正午からはお天気が崩れる地域もあるようです。お出掛けされる方は折りたたみ傘を持って、どうぞ暖かいい格好で。。。」

画面の中には真っ白なモフモフの格好に暖かそうなイヤーマフを着けた子が、ちょっと寒そうにビルの屋上でニコニコしている姿が映っていた。

 

身支度を整えフロントへ急ぐ。

まだぼんやりと、昨日見た彼女の俯いた寂しげな表情と、屈託のない笑顔の両方を思い浮かべている。

お世話になったホテルをチェックアウトした僕は、ガラガラとキャリーバッグを引きずりながら会場であるビルへと急いで向かっていった。

 

 

最終日のセミナー。

まずは「人は人が怖い」という話だ。

「あなたはエレベーターにひとりで乗っています。ひとりのときのあなたは自由で、心に余裕があり、何なら歌でも歌い出したい気持ちです」

笑い声がチラホラ。

「途中、エレベーターが止まってもうひとり乗り合わせました。あなたは何故か突然スマホを取り出し目を泳がせます。そうです。あなたは人が怖いのです。自分を知らない人が自分のテリトリーに入ってくることが不安でたまらないのです」

「途中から乗り合わせた人はどうでしょう。その人もあなたに背を向けてエレベーターのボタンを見つめています。そう、やっぱり人が怖いのです」

「基本、人は人が怖いものです。でも、それは、あなたの、ただの、先入観に過ぎません」

 

さて、と講師から課題が出された。

「それでは隣の人とペアになってくださーい。ペアになった人の目を見て、そーう、目を離してはいけませーん。そのままーそのままー。そのままOKを出すまでずっと見つめ合ってくださいねー」

「はい、始め!」

 

その日は最初から彼女の隣へ座ることができていた。探すことなく、偶然でもなく。それは彼女が着ていたコートを置いて席を確保してくれていたから。そして、遅れていった僕に「んもうっ」て頬を少し膨らませて、お互いプッと吹き出すくらい、ふたりはひとつに。

始め!の声に反応して、会場中に照れの空気がさあっと広がってゆく。

僕らも、ほんの少しだけ照れながら見つめ合った。

茶髪が目の上でパッツンと切り揃えられ、茶色い瞳が少し潤んでいる。コンタクトをしている彼女は、視力の悪い人特有のキラキラした瞳なのだ。人は恥ずかしさを紛らすために顔に手をもっていく。彼女は僕を見つめながら前髪を気にして、耳に髪をかけ直し、そしてちょっとだけ笑みが零れる。見つめる僕も、眼鏡をかけ直し、鼻をかき、きっと目尻はさがったままに違いない。

パン!と手の鳴る音とともに、彼女はまたも僕のお腹に軽くグーパンチを食らわせて、そして笑った。会場中に安堵が広がってゆく。人の目を見て話すって、けっこう大切なことなんだ。

 

セミナーは終焉へとまたひとつコマを進めていた。

それは僕らの時間も終わりに向かっているということ。僕は紙切れを手にとり「メール教えて」と書いて、彼女に手渡した。彼女は「アトデネ」と僕にしか聞こえない小声とともに、その紙切れをリュックに仕舞う。

このセミナーの後はすぐグループ行動になり彼女と離れてしまう。最後の1コマはこのセミナーを運営するスタッフとともに、次の新しいセミナーに参加するための説明会という悪魔の時間が設けられていた。

彼女とは、一緒に帰る夜しかもう話すことができない。彼女とともに受けていたその時間が楽しすぎて、僕らは連絡先を交わすという大切なことを忘れていた。何で昨日一緒に帰ったときLINE交換しなかったんだろう。セミナー中はスマホを取り出すことが出来ないので「アドレスを紙切れに書いてもらう」というアナログな方法しか、そのときの僕には思いつかなかった。

 

最終コマ。

少し遠くの席から後ろを振り返り、僕を見つけて胸の前で小さく手を振る彼女。

もっと、もっと話したい。ふたりでどこか遠くへ繰り出してみたい。

妻がいる。娘だっている。

それなのに、この抑えきれない衝動をどうしたらいいのだろう。一緒に食事をするだけ、一緒に東京タワーに行くだけ。正当化できないだろうか。

いままで生きてきた時間に比べればたった三日間だけれど、僕らは揺れるつり橋でしっかりと手を繋ぎ、支え合って歩んできた。愛の確認なんてしない。言葉なんか交わさなくても、身体が交わることなんかに意味はなく、ふたりはひとつになっていた。

出会いは偶然なんかじゃない。生きているなかで、こんなに濃密な時間があるのならば、それは間違いなく必然なはず。

離れたくない。

 

そればかり頭がいっぱいで、そのどうしようもない気持ちを抱えたまま、最終セミナーは終演を迎えていた。

ただ、どうしようもない気持ちのなか、僕は彼女を誘って東京タワーに行くことだけは決めていた。ふたりが出会った東京という街を、彼女と一緒に眺めることで自分の気持ちに何か踏みだす変化が訪れないかと、その可能性を模索していたから。

 

セミナー終了後、グループの面々と握手を交わす。三日間行動を共にした仲間だ。この面々ともこれはこれで必然だったのだろう。少しばかりの感慨がある。

僕は仲間たちに別れを告げ、すぐさま彼女を探す。さらに大金を注ぎ込む新しいセミナーへ誘導しようと躍起になったスタッフが、受講を終えた人たちを取り囲み、次々と席へと座らせ、少々強引に話しを繰り広げている。

そんな僕もスタッフに取り囲まれる始末。

次から次へと現れるスタッフにウンザリしながら「やりませんから」「あぁ、やりませんから」と振り切り彼女を探す。

 

いた!

ごった返す人の波をかき分け、彼女の元へたどり着こうとしたその横からスタッフの石川さんが現れ

「コウさん!こっち!」

と彼女の手を引いて連れ去ってゆく。

僕に気づいた彼女は握りしめていた紙切れをひらひらと振って

「マッテテ」

と、唇に思いを馳せた。僕は

「外で」

と、精一杯の想いを飛ばすしかなかった。

 

 

彼女はひとりであの難局を乗り越えられるだろうか。

僕はロビーのベンチに腰掛けて、もう中身が空になっているペットボトルをずっと握りしめている。

 

スマホに目を落とす。

23時33分が湘南新宿ラインの最終だ。

すでに23時を回っている。駅までは、頑張れば10分と掛からずたどり着けるはず。それでも。

警備員の目を気にした僕はビルの外で待つことにした。

 

外は、いつからなのか小雨が降り始めていた。

「折り畳み傘、か」

と、こんなとき彼女なら絶対「もうっ」て頬を膨らませてリュックから傘を出してくれるんだろうなあ、なんて考えていた。

 

 

 

時間だ。

 

 

 

 

 

 

彼女は来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は小雨のなか、静かに駅へと歩き出していた。彼女が追って来ないかと、何度も、何度も振り返りながら。

 

出会ったその瞬間から別れのカウントダウンは始まる。

神様は、僕たちふたりに透明な砂時計を渡した。それがどれくらいの大きさか、ふたりにはわからない。ただ、ふたりが出会ってからの想い出がゆっくりと硝子に降り積もってゆき、やがてその降り注ぐ砂は残像だけとなり、そうして硝子の向こう側をはっきりと映しだしたいま、僕たちは終わったのだ。

都庁を越え、僕はもう振り返らなかった。昨日ここをふたりで歩いたとき、こんな結末がくることなんて少しも考えていなかった。

新宿駅西口はまだ賑やかで、ただ、そのキラキラと輝くネオンに、いま僕は色が感じられないでいる。

 

 

昨日別れた改札口。

 

 

今日は、ひとりで通り抜ける。

 

くるっと振り返って、僕は胸の前で小さくバイバイした。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

エピローグ

 

電車に乗った僕は、彼女が見せてくれた笑顔をひとつひとつ思いだしながら自分を責めていた。

もし、僕に勇気があったなら、強引に彼女を連れだすことができたんじゃないか。

もし最終なんか気にせず彼女を待っていたら、違う未来があったんじゃないか。

彼女のことは「コウ」という苗字だけしかわからない。何故連絡先をもっと早く交換していなかったんだろう。

 

僕は彼女とつり橋を渡りながら、ひとり置き去りにして、引き返してきたのだ。

 

 

 

きっとこのまま僕はこの日のことを忘れてしまう。それは哀しいことだけれど。その哀しみさえも、やがて忘れてしまうだろう。

 

神様がくれた砂時計は、胸の中の大切な場所にしまわれて、そして、いつの日か僕が土に還ったとき、その砂の想い出は「もうっ」と頬を膨らませて笑いかけてくれるだろうか。

 

 

 

いま、僕だけを乗せた電車は大きな音を立てて荒川を越えてゆく。

 

 

 

 

 

 

えっと、あとがきです

(続

 

 

恋煩い(こいわずらい)逃亡

二日目の最終セミナーだけあって内容は佳境を迎えている。

自己啓発セミナーも明日を残すのみだ。熱く語る講師。その熱血トークに感化された受講者たちの集団はどんどんと熱気を帯びてきていた。それはもう室内の空調を脅かすほどに。

 

紙切れに

「暑いね」

とだけ書いてチラッと見せる。

するとちょっとだけ顔を傾け横目でクリっと見つめて「ネッ」と唇を動かす。

 

そんなことをよそに、ますます白熱するセミナー。

僕は無意識のうちにペットボトルを取り出すと、少しだけ口に含んでいた。

セミナーが1回3時間と言う長丁場なので、ペットボトルで水分を補給することはOKだと、セミナーの最初に説明されていた。ただ、あまり飲むとトイレに行きたくなるので、もうほんの少しだけ。

すると、手の甲でコンコン。

「んっ?」と横を向くと彼女がまた口の動きだけで

「チョーダイ」

と言う。

彼女の手のひらを見ると、さっきのキャンディーをチラつかせて「さっきあげたでしょ!」みたいな、ちょっと企んだような悪戯っぽい顔で 

「ハーヤークー」

正直ドキドキする。いや、こんなのよくあることじゃん!とか思う。

そっとペットボトルを手渡すと、わざと同じ角度にペットボトルを構え、横目でチラチラと僕の様子を伺いながら、少しだけぬるくなった水を共有した。

「こんなの普通よ」みたいに振る舞う彼女は、こっちを見ずに、わざと熱弁を奮う講師のほうだけを向いて

「アリガト」

と小さく唇を揺らした。

 

 

講師のボルテージは最高潮に。

 「この中でまだ挙手してない人はいますか!それはまだあなた自身がこのセミナーの本当を体験していなってことですよ!」

「ここはテニスコートです。あなたはコートで試合をしていますか?それとも観客席で批評しているだけですか?」

「観客席にいるならばコートに降りて試合をしてみて下さい。景色が違う!見える世界が違うのです!あのコースに決めたらよかったのに。。。じゃないんです!あのコースへ決めるために、その一点だけに集中するのです!」

 

僕らは観客席の端っこで違う話をしていた。いや、違うコートで別の試合をしていたのかもしれない。セミナーの内容は「家族に心を開く」のようなテーマで、彼女は自分の年の離れた弟についてボソッと呟いてくれた。

「オトウト イジメタコトアル」

それは彼女の本当の悩み。

ただセミナーの途中だし「後でね」と講師に目を付けられないよう僕らはひっそりと景色に同化した。

そして彼女の「うん」は、それは、どちらからともなく一緒に帰るという約束になった。

 

 

 

スタッフが声を張る。

 「それでは今日のセミナーはここまでです!次回のセミナーに応募される方は後ろの席で所定の用紙にご記入ください!よろしくお願いします」

 

なんと最終セミナーの前に次回へ応募させる仕組みなのだ。セミナー自体はなかなか面白い話なのに少しだけ残念に思う。

僕も彼女も次回に応募する気持ちなどサラサラない。応募する人たちの列をかき分けて帰ろうとすると、さっきの石川さんが目聡く彼女を発見し、話しかけてきた。

 「コウさん、次も来るわよねぇ。ねっ!この用紙書こう!」

 と彼女を僕から引き離し連れ去ろうとする。

僕はとっさに

 「彼女、家族にいま電話するみたいですよ、さっきのセミナーで家族に電話するってあったじゃないですか。早く電話しないと寝ちゃうらしいので。。。」

「ねっコウさん、早く電話したほうがいいよ!」

 とグイっと彼女の手を握り、ごった返す人の波をかき分け、ふたりで逃亡した。

 

エレベーターを使わずわざと非常階段で降りる。

10Fから1Fは相当つらい。

でも、手を繋いだまま僕らは一気に1Fまで駆け下りて、のろのろ開いた自動扉の前から"いっせいのせっ"で、ふたりでピョンとジャンプして外へ飛び出した。息を切らせながらお互い顔を見合わせて大笑いする。高層ビルの隙間から見える空には月が煌々と光っていて、そんな月を見上げながら、心の中ではRADWIMPSの「前前前世」のイントロが始まっていた。

 

僕らは駅に向かってゆっくりと歩きだした。

手を繋いでいたことが急に恥ずかしくなって、スマホを取り出す。

都庁からのビル風がふたりに吹きつける。

「寒っ」

と肩をすくめた。彼女は身体を少しだけ寄せて、その左手を僕の右腕に少しだけ滑りこませ、恥ずかしそうに袖口の内側を掴んでいた。

 

駅まではわずか10分ほどで着いてしまう。

僕はスマホで自分が働くBARのホームページを表示させて「こんなお店やってるんだ」と見せてあげた。

目をまるくした彼女は

 「カッコイイネ!ワタシ イキタイ!」

 とハイテンションで褒めてくれる。

 「いつでも来て!」

 と、これはもう本当に彼女に僕のお店を見てもらいたいという一心での声。

そして歩きながら、さっきの弟の話に戻った。

 

弟とは12歳も離れていて、いま重い病気で入院生活を送っているという。弟は覚えてないだろうけど、まだ小さかった頃、八つ当たりして弟を叩いて泣かせたことがある。気がつくと、彼女は伏せ目がちに足元の冷たいアスファルトへ話しかけていた。

僕は、 

「弟さんに、いまの話してみたら?正直に」

 と、言ってみる。

彼女は

 「ソンナノ ワタシナイチャウ」

 と、笑顔を作り、ちょっと戯けたフリをして、でもそんな彼女の真剣な眼差しは、このことが占める心の重さをよく表していた。

 「難しいね」

 とだけ呟き、僕は彼女の手を挟むように右手をポケットに突っ込んだ。

本当は彼女を抱きしめてあげたくて、でも彼女を抱きしめるなんてとても出来なくて、それは思いつく精一杯の悪あがきだった。誰かのヒットソングじゃないけれど、その瞬間彼女をそっとポケットにお招きしたい気持ちと抱きしめたいと、でもどこかに理性のカケラがあったのかもしれない。

彼女の手はもう完全に僕の右腕をしっかりと巻き込んでいて、それはもうどこからみても恋人同士のそれにしか見えないはずで、そのくせ僕らはお互いの気持ちを声にだすことは絶対にしなかった。その境界線から飛びだすことは、ふたりの覚悟であり終わりの始まりとわかっていたから。

 

青い月が僕らふたりを照らしている。

 

叶わぬ恋と知っていても、セミナーという異空間にいた僕らふたりは完全に別世界にいた。駅までのほんのわずかな時間、わざと信号を守ったり、押し合ったりしてわざと蛇行したり、彼女の髪が揺れるたび、僕はカウントダウンが進んでいることを忘れられた。

明日が終われば、また日常に戻ってしまう。

彼女とはまた会うことが出来るのだろうか。

 

駅に着く。

 

彼女と改札口の前まで。

 彼女は僕から手を離すと改札を背に僕の正面に回り、少しだけおでこを僕の胸にくっつけた。

 

ほんのちょっとだけ時間が止まる。

 「ハイッ!」

 と言って彼女はすっかり笑顔になって、

 「オトウト ニ イテミルネ!」

 とお腹にグーパンチをした。

 「うん」

 とだけ僕。

 

さっと背を向けて改札を抜けた彼女は、くるっとこっちへ向き返し、手のひらをピッとおでこに当てて敬礼のポーズ。そして

 「アリガト」

 と唇を動かすと、そのままこっちを向きながらゆっくりと後ずさり、胸の前で小さく手のひらだけ動かしてバイバイした。

 

彼女の後ろ姿が見えては消え見えては消え、新宿駅の人混みに飲まれて見えなくなってからも、しばらく僕は立ちすくんでいた。

 

それはもう温かいような、それでいて切なくて。

 

空を見上げる。

さっきまで見えていた月に少しだけ雲がかかりはじめ、僕は胸の温かい余韻を少しでも長く感じようと上着のボタンを上まで閉めてポケットに手を突っ込んだ。

 

(続

 

 

 

 

 

 

 

 

恋煩い(こいわずらい)ぬくもり

二日目の朝、ひどく寝坊した。

実はセミナー初日を迎えるにあたって、ほとんど睡眠が取れていなかったのだ。

 

 

BARの夜は長い。

会社から出向という形で赴任した無理矢理な人事ではあったけれど、BARの仕事を始めてみれば接客は楽しく、むしろ面白かった。本当は人見知りのくせに。

 

その晩は特に忙しく、薄明るくなる閉店ギリギリまでお客さんに付き合っていて、そのお客さまの後を追うように店から駅へ走り、始発に飛び込み、青空が広がる新宿のホテルへ直行すると、セミナー開始までの残された時間はわずか小一時間ほどだった。これが初日の朝。

 

 

 寝坊。。。「よく寝た。。。」と、まだ眠い目をこすり、スマホを横目で確認する。8:34のデジタル表示。セミナー会場まで歩いて5分もかからないけれどさすがに。。。と、はっきりしない頭でぐだぐだ考える。セミナーは9時からだ。「朝食」なんて悠長なことなどいってはいられない。自販機で買ったコーヒーを一気に飲み干した僕は、小走りでビルの谷間をすり抜け、最後は息を切らしながら笑う膝を両手で抱え、なんとかセミナー会場へと滑り込んだ。銀色に反射する鏡張りのビルの中、ポケットから取り出したスマホの液晶は8:57を表示していた。

 

席に着く。

 

辺りを見回す。

自然と彼女を探していた。

もちろん200人もいる会場で、よっぽど近くに座っていない限り見つけるなんてできないけれど。

 

 大きな溜め息をつきながら、不甲斐なさを呪い、がっかりし、その落ち込み具合は初日の朝を思い起こすほどだった。

ただ、そんな気持ちをよそにセミナーはどんどん進行してゆく。何やら昨日の宿題をみんなの前で発表するようだ。

続々と挙手しては発表する参加者を横目に、まだ頭のまわらない僕の意識はすっかり彼女へと飛んでいた。

 

恋だと本当は気付いていながら、そうじゃないと何故か否定している。好意がある状態と恋は別だと理性が否定しようとする。ただ思いだすのは、彼女の声だったり仕草だったり。

ただ隣に座りたい、話したい、笑顔がみたい、ただそれだけで、それは恋なのだろうか?などともう正解が出ているにもかかわらず、僕はそうではない理由をずっと探していた。

 

 

休憩

 

 

頭は支配されたまま、ただお腹は空いている。缶コーヒーでなんとか空腹を誤魔化しながら、無限に人が行き交う廊下を行ったり来たりする。やっぱりというか、無意識のうちに探してしまう。

 

スタッフから「あと5分」の声。僕はがっくりと肩を落とし、ゆらゆらと気持ちを引きずりながら会場へ向かうしかなかった。

 

「あっ!」

 

グレーのトレーナーと真っ白なスカートに身を包んだ後ろ姿に気づくまで1秒とかからなかった。

不自然な早足で彼女の後ろまで近づくと、昨日のお返しに肩を"ちょんちょん"した。

振り返った頬に人差し指があたる。驚いた顔はすぐに笑顔に変わり、今度は頬を膨らませて怒った顔を作ると、すぐにまた飛びっきりの笑顔を零してくれた。

 

「クルノオソイヨ」

「ギリギリダタネ ネボウシタヨ」

「ホラ ハヤクスワリナ」

 

ちょっと怒ったような「もおっ」て顔をしながら早口でまくし立てた。

ニヤニヤが止まらない。

「ごめんごめん」と彼女に困り顔を作って微笑みかける。

気づいてしまった。

僕が彼女を探していたように、彼女は僕を探してくれていたんだ。

彼女は「イィーーー」て怒った素振りを見せてまたクスクス笑う。

 

 

 

セミナーが始まった。

昨日の復習だ。

 

「ふたりでペアになって話し合ってくださーい」

 

スタッフから声がかかる。

ここで僕らは重大なミスに気づいてしまった。隣同士座ったけれどペアではなかったのだ。肝心なところでキューピットはやってくれる。ほんの少しだけの落胆。僕と彼女は横を向くと背中合わせになってしまった。

ただ、お互いの背中はわざとぴったりくっつけて。

体温を感じる。。。そんな不純な心が伝わったのか彼女が後ろ手で僕の太ももを叩く。それはまるで「やだあ」という声が聞こえてくるように。

 

僕は、相手のおじさんの懸命な考察を「うん」とか「そうですね」とか適当に受け答えしながら、背中越しの彼女を感じるため、いつになく神経を集中させていた。

彼女がペアになった相手の女性に一生懸命話している声。それは小学校の先生が生徒を怒るイライラの話だ。「ワカル?ワカル?」と、それはもう僕の口振りそのままで、おかしくておかしくて、後ろ手で彼女の太ももをちょんと叩いた。

「アッ   キコエタ?」

と、彼女はすぐさま振り返り、急に恥ずかしそうな顔で

「キカナイデヨ」

と、また僕の太ももをちょんと叩いた。

 

 

セミナーの中盤、横に座る彼女の足を小突き、小さい声で「お腹空いた」と言ってみた。朝からコーヒーだけで過ごしていたのもあるけれど。

しょうがないなあって顔。

椅子の下に置いてあったリュックからキャンディーを取り出すと、横目でチラッと合図する。声は出さない。そっと手を出すと、これはお国柄なのか彼女はわざわざ包み紙を剥がし、乳白色のキャンディーを取り出してポイっと手のひらに渡してくれた。「ありがと」と小さく口だけを動かす横顔を、クリッと横目で確認した彼女は目の動きだけで「どういたしまして」と応えくれる。心の中でアーンの口をしていたのは、感づかれてしまっただろうか。

 

 

お昼休憩

夕方からのセミナー

どちらもグループ行動がメインとなり僕らは離れ離れになった。運命のいたすらじゃないけれど、このがっかりする気持ちって。

 

 

そして二日目の最終セミナーが始まる。

一気に200人が会場へ戻るため、通勤時間の駅ホームかと思わせる混雑が毎回起こる。ざわざわとガチャガチャとパイプ椅子に着く大勢の受講者たち。

 

離れていた時間を取り戻すかのように、休憩時間ずっと一緒にいた彼女と、今度は大勢の人に紛れてもお互い見失わないようにと、ものすごい人込みを慎重に掻き分けて僕らは席を探した。

彼女は背後にぴったりとくっついて、両手の指先で腰の辺りのシャツをしっかりと摘みながらヨチヨチとついてくる。たまに急かしたりしながら。

 

 

セミナーは録音が禁止され、写真もだめ、それどころかメモすら許されない。スマホを見るなんて以ての外だ。

 

ただ、僕は今回こっそりと小さな紙きれとボールペンを用意していた。彼女と接近しているのが石川さんという女性スタッフにバレ始めているのを薄々勘付いていたからだ。

彼女の視線はとても冷たい。それゆえ得体の知れない予感がずっと背中に張り付いて拭えず、慎重にならざるを得なかった。

 

(続

 

 

 

 

 

 

 

 

恋煩い(こいわずらい)帰り路

彼女の肩と僕の肩と、そっと触れ合ったままセミナーは進行してゆく。

 

セミナーは「いま不満に思っていること」についてだった。

 

彼女は会社の中でチームリーダーに抜擢されていて、そのチームのスタッフ(彼女より年上ばかり)が、自分の言うことを全然聞いてくれないことが不満だという。きっと彼女は優秀な人材なのだろう。日本語が堪能な彼女は、国籍を超えて日本人のスタッフに指示をだせるのだ。ただ、周りのスタッフにしてみれば「この小娘が」のような感情にとらわれることも容易に想像できる。彼女のちょっとした気の強さに僕は何となく気づき始めていた。僕は、このセミナーの自分のグループ内で一緒だった小学校の先生の「先生が生徒を怒るイライラ」について話をしてあげた。

 

「『廊下を走っちゃだめだろ!』って先生は毎日怒っていて、でも注意しても注意しても生徒たちは気がつけば廊下を走るんだって。それで先生は常にイライラしているの。廊下は走らないようにって注意書きもあるのに、生徒は休み時間になるとワーっと一斉に飛び出して走りだす。注意しても注意しても直らない。先生はいっつもイライラ。何でイライラしちゃうと思う?」

 

「廊下は走っちゃいけないって決まりだから?」

 

不安そうに彼女が聞いてくる。

 

「そう。廊下は走っちゃいけない決まりがあるの。先生は決まりを守らない生徒が許せないんだよね。だからイライラする。」

 

「うんうん」と彼女。

 

「だけど先生の意識は『決まりを守らない』にとらわれ過ぎてないかな?先生は真面目で、正義感が強くて、本当曲がったことが大嫌いな人だと思うんだよね。でもそれって生徒に対して自分の正しいを無理強いしてないかな?自分は正しい、生徒は悪い、正しいことをしている自分は正義だ、生徒たちは俺の言うことを聞いていればいいんだ、俺は正しいんだから。。。そんな生徒への支配欲がどこかに隠れてないかな?」

 

「あっ」と彼女。

 

「先生は『決まりを守らない』に重点を置きすぎて、何で走っちゃいけないかを忘れてるんだよね。生徒が走って転んで怪我をするかもしれない、誰かとぶつかって怪我をさせちゃうかもしれない。。。先生は自分の正しさに溺れるあまり支配欲の欲が強くなり過ぎて、大切なものを失いつつあったんだよね。そう、つまりは生徒に対する愛情に欠けてたんじゃないかな?って思うんだ。もちろん廊下を走った生徒には注意するよ。うん、注意することに変わりはないんだけど、もしそこに決まりだけじゃなくって生徒への愛情があったとしたら、何か変わらないかな?」

 

僕は彼女と顔を見合わせてニッコリした。

彼女は目を見開いたまま笑顔になって、その茶色い瞳がくりくりして僕は「ズルいよ」なんてドキドキした。

「コウさんも、スタッフに対して愛情が欠けてることなかった?」

彼女は手の甲に爪を立てる素振りをして

「イィーーーッテナテタヨ」

と悪戯っぽく笑った。

 

 

 

初日のセミナーが終わった。

 

「マタアシタネ」

 

と彼女が手を差しだして、その手のひらはちょっとだけ冷んやりしていた。

 

握手をする。

 

手を握ってきた彼女は、僕の勘違いでなければ名残惜しそうに、名残惜しそうに僕の手のひらからスルリと白い手を抜いて

「バイバイ」

と言うと踵を返し、薄いベージュのワンピースに茶色のコートを羽織り、真っ白なリュックをダランと背負って出口へと向かい、やがてその姿は受講生の人混みに同化して見えなくなってしまった。

僕はその手のひらの余韻に浸りながらビルを出て、寒々とした新宿の街へ颯爽と踏み出した。街の灯りはキラキラと輝き、その眩しさを遮るようにコートの襟を立てた僕は、何故か大切にポケットの中へ手をしまっていた。

 

(続

 

 

 

恋煩い(こいわずらい)

貴重な週末だというのに、会社の命令で行かされた三日間のセミナー。そのセミナーを終え、自宅に向かう暖房の効いた湘南新宿ラインに揺られている。

サラリーマンである自分に会社の言いつけを断る気概など微塵もなかった。いや、そんな勇気は鼻からなかったのかもしれない。

ただ、もし、ほんの少しでも勇気があったのなら、今ごろ窓に弾ける水滴を眺め、憂うことなどなかったかもしれない。

 

 

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11月の初め。金、土、日と三日間、会社の命令により新宿のビジネスホテルに幽閉された。まあそれは大袈裟だとしても、そのくらいの勢いだったことに間違いはない。何故ならそのホテルから歩いて数分の場所にある「自己啓発セミナー」へ通うことになったからだ。

まさかこんなおじさんになってまで自己啓発セミナーに通うとはなあ。。。と、面倒くささと遣り切れなさとで、晴れやかな金曜日の朝とは裏腹に、気持ちは沈んだままだった。

それはもう寝覚めが悪いことにも増して食欲を減退させてゆくばかり。僕は焼いたトーストを半分だけちぎり、冷めたコーヒーで一気に胃へと流し込み、急いでホテルを飛び出した。

 

新宿の朝は肌寒かった。

ビルの谷間から見上げた空は青く晴れ渡っている。なんとなく恨めしそうにビルを見上げたまま「仕方ない」とだけ呟き、早々に気持ちを切り替えることにした。

グーグルマップを頼りに現地に着き、ビルのエレベーターにいそいそと乗り込み「10F」を押して下を向く。エレベーターは最新式なのか音もなく、僅かに心を締め付けたかと思うとすぐさま到着のチャイムを鳴らした。

会場は横長で広めなオープンスペース。そしてそこにうごめく人、人、人。このスペースに200名近くが無理やり押し込められるのかと、そんな大規模なセミナーだということをあからさまに実感して内心ざわざわと、そしてちょっと怖くなり始めていた。それはもう、知り合いも誰もいないセミナーに突然放り込まれたわけであって、正常な人間であれば少しくらい不安になってもおかしくないだろう。

 

ゆっくりと会場を見渡した。そこにテーブルはなく、パイプ椅子だけが整然と並べられている。

 

「ははーん」

これは、講師がホワイトボードに簡単な説明書きをしながらコーチングしていく今人気の"アクティブラーニング"だな…と、すぐさま気がついた。さすがアメリカで開発されたセミナーだなと、フンフンとひとりで納得するフリをした。それは不安な心を紛らわすための行為だと、なんとなく自覚しているけれど。

アクティブラーニングとは、隣同士、あるいはグループになって、ひとつの物事を話し合い深めてゆく参加型セミナーで、その中で参加者はひとりひとり自身に向き合ってひたすら心の中を探求するという仕組みである。

なるべく多くの人と会話して自身の考えを深めて欲しいという主催者側の意向だ。

「会場の席は特定の場所ではなく、毎回別々の場所に座ってセミナーを受けるようお願いします!」

とスタッフの方から説明を受けた。

 

「はいはい」

 

実はこの事を僕はセミナーに参加する前から知っていた。行けと命令を下した社長から

 

「席は自由だけど、隣同士で話し合ったりするからなるべく美人さんの隣を狙って座ったほうがいいぞ。目の保養になる」

 

と言われていたからだ。

 

 

 

 

そうこうするうちに、いよいよ期待と不安をない交ぜにしたセミナーが始まった。

隣には何やらどこかのビジネスマンが座っている。

「このおっさんとペアか。。。」

席の確保を失敗してしまった。両隣がおじさんだ。どうあがいても、おっさんから逃れられない。いや、もちろん自分もおじさんなので文句は言えないし、逆に「おじさんだ」と思われているに違いない。

あっさりと諦めて、真面目にセミナーを受講することにした。そう、心の持ち様なのだ。セミナーの内容も同じく心の持ち様について説明している。

ただどちらにしても退屈極まりない。会社から研修費用が支給されていることもあって、それ相応のやる気しか出ないのは致し方ないことだろう。

一日でセミナーは4回、1回3時間のセミナーだ。実に長い。挟まれる休憩時間は1回30分。9時から始まって、お昼休憩は午後3時半過ぎからだ。その休憩もグループ行動で、グループリーダーと呼ばれるスタッフがついて回る徹底した管理体制だ。常に監視されているようでめちゃくちゃ息が詰まる。

「ほとんど洗脳だな」

などと内心諦めつつ、このセミナー自体を不審に思い始めていた。

 

 

2回目のセミナーが終わり、スタッフ監視体制のもと昼休憩で息の詰まる食事を終えた僕は、ゆっくり会場に戻ろうとしてハッとした。

 

パイプ椅子に座るひとりの可愛らしい女性

 

脳裏に社長からの言葉がよぎる。

「なるべく美人の隣がいいぞ」

そうだ!

迷わずその女性の側まで早足で近づくと、見事隣に座ることに成功した。

彼女は20代と思われ、AKBのナントカさんに似た茶髪ロングの美人さんだった。あんまりじろじろ見ていたら不審者なので、それでもチラチラと彼女の横顔を眺めながら

「良い席とれたぞ」

と内心ホクホクしていた。

 

 

「それでは始めまーす!」

初日3回目のセミナーが始まった。

スタッフから

「隣の人とペアになって。今のことについて話し合ってください」

と声がかかる。

待ってました!と心の中でガッツポーズ。でも、そんなことを悟られないよう用心深くゆっくりと横を向き、彼女とご対面した。きれいな茶髪ロング、クリっと色素の薄い瞳と白い肌、華奢な肩、小さな胸のふくらみ。

 

「ハジメマシテ、コウ(高)トイイマス ヨロシクネ」

 

 

なんと彼女は中国から日本に来た留学生だったのだ。

その独特な中国人訛りというかイントネーションに一瞬でやられてしまった。完全に変態級の笑顔になっていただろう。僕は

 

「よろしくお願いします」

 

と、ぎこちなく言った。

ところが彼女はそんな僕に対して信じられないくらいの笑顔で応えてくれたのだ。まるで天使である。ただ、それも束の間、急に彼女の顔が曇ってしまった。彼女にはこのセミナーが難しく、内容がよく理解できてないらしいのだ。

 

「ヨクワカラナイ」

 

と彼女はちょっとだけ顔を寄せて話してくれた。これに応えられる男は世界中探しても、いまは僕しかいない。

200人もいる会場で、ざわざわと話し声が飛び交ううるさい会場内で、僕と彼女はちょっとだけ肩を寄せ合った。

僕はいま得ている全ての知識をフル回転させて、彼女にわかりやすいよう例え話も織り交ぜながら丁寧に説明した。不安そうな顔をする彼女を落ち着かせながら「わかる?わかる?」と何度も、何度も。言葉を重ねるうちだんだんと、不安そうな彼女の顔に笑顔が浮かんでくる。そして、

 

「ワカタヨ」

「コーチヨリセツメイウマイネ」

「タカハシサンノトナリナッテ、ホントヨカタヨ」

 

とグーを出してきた。

すかさずグーを出す。

彼女のグーと僕のグーが少しだけ触れ合って、その瞬間、彼女は悪戯っぽい上目遣いでみつめながら、最高の笑顔をみせてくれた。

 

お互いが、この広い会場に放り込まれ、200人もの見知らぬ人に囲まれて誰も知り合いのいない不安を抱えていたのだ。彼女の言葉のハンディを考えれば尚更のはずだ。これを''つり橋効果''っていうんだろうなとも思う。けれど、もうお互い大人であっても、それを感覚で悟っていても止められなかった。僕らはあの瞬間確実に求めあっていたのだから。

 

一気に親密になったのか、彼女はセミナー中でも小声で質問してくるように。スタッフに気づかれないよう左手の小指で僕の右足をちょんちょんして、そして頬をちょっとよせて。

 

まるで中学生の初恋だ。スタッフに怪しまれてはいけないという潜在的意識が、否が応でも僕らに火を点ける。けれどもコソコソと仲よくなってゆく僕らに、無情にもセミナーは終わりを告げるのだった。それはもうあっという間の3時間。

僕らはお互いに、

 

「バイバイ」

 

と告げて会場の外へ出た。長い栗色の髪を揺らしながら、あっという間に彼女は200人の中へ埋もれていってしまった。

 

休憩。

 

休憩時間中、会場から一旦外に出なくてはならない。そうして休憩後、再び会場に入りめいめい席を探して座るのだ。

ぼんやりと彼女との余韻に浸りながら、セミナーの内容を反芻することも忘れなかった。たったひとときでも楽しい時間があってよかった。。。などと自分を慰めていたけれど。

 

スタッフから「あと5分です」の声。僅かばかりの休憩が終わり会場に戻って、そのまま何も考えず適当に席に着いてしまった。

おじさんを嫌ってか、なかなか隣に人が座らない。「そりゃそうだ」と内心微妙な心持ち。

 

そんな僕の肩に突然"ちょんちょん"がきたのだ。

 

「マタキチャタヨ」

 

と、悪戯が見つかったような上目遣いでみつめる彼女。あたかも"偶然です"みたいな顔をして僕の横にしれっと座ったところで初日最後のセミナーが始まった。

 

パイプ椅子はきっちり並んでいて、でも僕らのパイプ椅子はとりわけくっついて並んでいて、彼女の肩と僕の肩は少しだけ触れ合っていた。それはお互いの意思を確認するように。

 

そう、彼女は200人も人がごちゃごちゃしている中で、僕のことをきっと懸命に探してくれていたのだ。

 

(続

 

 

特別な朝(後編)

予選会当日の朝は早い。早朝5時過ぎにPAなど音響機材が搬入され、マイクチェックなどを行なう。6時から出演するバンドのリハーサルが20分ずつくらい、この年の予餞会は僕らを含め合計5~6バンドの有志演奏が行われた。軽音楽部の後輩グループ数組と別の同級生グループ(彼らは浜田省吾を歌う硬派バンド)そして僕ら「喜楽スペシャル」のサザンである。

「うぃーっす」と僕らは口々に声をかけ、ハイタッチをし、凍えた(笑)

6時。まだ2月で外は真っ暗。気温も2~3度だろう。とても楽器なんて弾けたもんじゃないけれど、選ばれし僕ら有志演奏軍団は体育館2Fにある準備室の小さなストーブで暖をとっていた。

僕は6時過ぎ「ちょっと行ってくる」と最寄駅に自転車を飛ばした。同じ部活の後輩(彼女)を迎えに行くためだ。

早朝の凍える街などものともせずに、僕はペダルを踏みしめ、そして風になる。

駅に着くころにはもう太陽が光を放ちはじめ、息を切らせた僕はブレーキを鳴らしながら駅の階段下で手を振る彼女を眩しそうに見つめ、そして頷いた。

 

彼女との二人乗りもこれが最後かなあ。。。などと思いながらゆっくりペダルをこぐ。彼女は僕のコートのポケットに手を突っ込み、背中に頬を寄せていた。

 

 

 

1年生のときも、2年生のときも、この予餞会の日の朝日を感じてきた。一年の中で一番好きな朝だった。冷たく頬をなぜる空気がどんどん集中力を高めてゆく。吐く息は白く、その息遣いだけが静かな朝にリズムを与えてくれる。

 

 

 

彼女は僕のおなかをぐりぐりして「ちょっと太ったんじゃないの?」なんて呑気に声をかけてくる。

完全に意識が飛んでいた僕は我にかえり、勢いよくペダルを踏んだ。彼女はしっかりと僕に抱きつき、ぴったりとひとつになった。

 

 

 

 

 

 

話しはいよいよ佳境である。予餞会。ついに僕らの出番がやってきたのだ。

 

イントロダクションとして吹奏楽部の部長でもあるケンちゃんと、桶川高校のバスドラムと云われるほど誉れの高い田中くんが打楽器(ボンゴとドラム&サンバホイッスル)で盛り上げる。そこからの気分次第で責めないで~♪ C調~♪ 曲の合間にケンちゃんが今日までのいきさつを話して笑いをとる「ボク、今日ほんとはテストなんですよ・・・爆笑」

そこからの栞のテーマ体育館の3年生が一緒に歌っている。そして名目上最後の曲であるいなせなロコモーション超ロックバージョンへ!

曲のエンディングでメンバー紹介をする。ここまでは予定通り。その後アンコールの拍手までは仕込みだ(笑)予餞会実行委員の2年生も仕方ないなあという顔で続行を認める。

「すいませんねえ」と悪びれもせず、ギターの寒河江くんはいとしのエリーのイントロを奏ではじめた。サザンのライブか!と思わせるほどの歓声があがる。

このエリーは、途中アカペラを含む壮大で、なおかつハードな曲として僕がアレンジをして3年生を泣かせにいった。演奏している僕らもぐっとくる仕上がりだ。

曲のエンディング、緞帳(どんちょう)を降ろす実行委員。ここまででもう30分近く演奏している。ギターはエンディングが終わる前にYaYaのイントロを弾きはじめる。ごり押しだ。体育館は歓声とどよめきがごっちゃごちゃだ。ざわつくステージ袖で、緞帳を降ろすボタンを挟み実行委員と僕らの前に演奏した浜田省吾軍団が対峙している。すまん・・・そんな姿を横目でみながらのYaYa(あの時を忘れない)

 

なんとか半分降りた緞帳のまま演奏を終えると緞帳は降ろされ、実行委員の「ありがとうございました」の声がマイクで流れた。

 

ここからだ

 

僕とギターの寒河江くんはアイコンタクトでステージの外へ走り出す

スティックのカウントが聞こえた

 

LALALA~LALALA LALALA~♪

 

勝手にシンドバットのはじまりだ

体育館内は絶叫に近い歓声で埋め尽くされている

完全に緞帳が降りた中 体育館のステージ下に飛び出したギターとベース そして緞帳の裏側で実行委員ともみ合っていたケンちゃんもなんとか外へ

ドラムとキーボードはステージ上から動けず緞帳を挟んでの演奏になってしまったが止まらずに続けてくれている

 

 

 

 

みんなの顔が見える

これが三年生最後のバカ騒ぎだ

 

 

 

 

緞帳は降りたままだったけど、ぐっちゃぐちゃになりながら演奏をぶっ続け、そして僕らの高校生活は幕を閉じた。

僕らは演奏をしていたので知らなかったのだが、後から聞けば緞帳の向こう側はそりゃあ大変な騒ぎになったらしい。実行委員も意地がある。おいそれと三年生の暴挙を許すわけにはいかない。その後の出し物で控えている生徒もいるわけで、謝恩会の時間もめちゃめちゃになっただろう。本当申し訳ない。浜田省吾軍団が盾となって演奏を止めさせず、もみ合い、怒鳴りあう。

そんななか、もみ合う生徒たちを一喝して治めたのは他でもない、体育教師の折茂先生だった。

 

「こいつらを、どうかやらせてやってくれ」

 

と実行委員にお願いをしてくれたのだ。

嘘か本当か、その光景を見ていた細田先生の目に光るものがあったとかなかったとか。

 

 

その後の僕らは何のお咎めもなく、心配した軽音楽部も存続、無事卒業できた。

もはや伝説に近いこの話が話題になり卒業した僕たちは、その後大学の学際に呼ばれたりした。そして怒涛のサザン27曲ぶっ通しライブをやることになった話はいつの日かまた。